11.22.14:56
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02.02.09:18
食育について母校で学ぶ③-1
02.02.09:10
食育について母校で学ぶ②
02.02.09:02
食べるということを母校で学ぶ
昨日、食育の講演会を聞きに行く。
そのまとめを、出来る限りお届けしてみたいとおもう。
本当に面白かったので、出来る限り再現してみたいと想うのだが
私の拙い文章で再現できるはずもないが、
とりあえず試してみるのである。
この記事には、前置きとしてこの講演会について記しておく。
次の記事では、城西高校の取り組みについての感想です。
ちなみに、私の話をしておきますと
私も、食育ではないですが生産者を目指すべく
日々、農学を学ぶ(と言えば聞こえが良いが)学生です。
今回は、その供種品目についての話があると聞き
講演へいったのでありました。
では、はじまり はじまり
そのまとめを、出来る限りお届けしてみたいとおもう。
本当に面白かったので、出来る限り再現してみたいと想うのだが
私の拙い文章で再現できるはずもないが、
とりあえず試してみるのである。
この記事には、前置きとしてこの講演会について記しておく。
次の記事では、城西高校の取り組みについての感想です。
ちなみに、私の話をしておきますと
私も、食育ではないですが生産者を目指すべく
日々、農学を学ぶ(と言えば聞こえが良いが)学生です。
今回は、その供種品目についての話があると聞き
講演へいったのでありました。
では、はじまり はじまり
01.28.16:24
広島旅行 ショートカットページ
広島旅行のまとめページです。
広島旅行① 一日目 http://arutonia.blog.shinobi.jp/Entry/277/
※一日目についてのタイムスケジュールと思ったことを書いてます。
広島旅行② 二日目 http://arutonia.blog.shinobi.jp/Entry/278/
※二日目のタイムスケジュールです。やっぱり思ったことを書いてます。
広島旅行③ 発表会の感想 ならびに研修の感想 http://arutonia.blog.shinobi.jp/Entry/279/
※本来の目的はこれなのですが、雑にしか書いてません。
広島旅行④ 平和って何だろう。http://arutonia.blog.shinobi.jp/Date/20120128/
※平和って何だろう。ってことについて
広島旅行① 一日目 http://arutonia.blog.shinobi.jp/Entry/277/
※一日目についてのタイムスケジュールと思ったことを書いてます。
広島旅行② 二日目 http://arutonia.blog.shinobi.jp/Entry/278/
※二日目のタイムスケジュールです。やっぱり思ったことを書いてます。
広島旅行③ 発表会の感想 ならびに研修の感想 http://arutonia.blog.shinobi.jp/Entry/279/
※本来の目的はこれなのですが、雑にしか書いてません。
広島旅行④ 平和って何だろう。http://arutonia.blog.shinobi.jp/Date/20120128/
※平和って何だろう。ってことについて
01.28.16:17
広島旅行④ 裏話 平和記念公園にて。
広島旅行④ 外伝 平和記念公園を見て思ったこと。
実は、一日目のお好み焼きを食べた帰りの話です。
これだけは別に書くべきだと思って予定に入れませんでした。
概要を簡単に説明しますと、お好み焼きを楽しく食べすぎて、ホテルの近くの駅の路面電車乗り過ごしたのです。
だから、ホテルの次に近い駅で降りたのですがそれが「原爆ドーム前」だったんです。
時間は夜10時50分ごろ。
私達は原爆ドームの周りを歩いていました。
教授・助教授 私と同級生(発表者同士ですね)はお好み焼きの帰りに路面電車に乗り遅れて
次に近い「原爆ドーム前」で降りたのでした。
少し歩くとそこにはライトアップされた原爆ドームがありました。
少し残念でしたが、実は今年は原爆ドーム点検作業中なんだそうです。下から見ると足場だらけで、鉄骨に鉄骨を重ねた感じでした。
それでも、前を通ったらこの足元で起ったことを自然と想像して寒さとは違う何かを感じざる終えませんでした。あとで気づきましたが、ちょっぴり泣いてました。
慰霊碑にはたくさんの水がお供えされていて自分が持っている水もお供えしたい気持ちになりました。
二日目もバスの移動中に上から(橋が原爆ドームとり高いため)見たのですが、上のドームは足場がなく写真で見た通りの原爆ドームがあってやっぱり広島に来たし、その歴史を感じたんだなと思いました。
また、夜の話に戻りますと
そのあと、原爆の火をみました。あれって、手の形をしたモニュメントの真ん中にあるんですね。はじめ見たときはわからなかったのですが、教授がポカーンとみている私を見て、いろいろ教えてくれました。
その中で一番印象に残ったのは、「その火のモニュメントの奥にある半円を立てた形のものからその火を見てみろ」って言葉でした。
覗いてみると、火の後ろにドームがありました。その半円の下には「私達は二度と過ちを繰り返しません」とありました。この間スプレーで落書きされていたやつです。
そこにもたくさんの水や花が置かれていました。
また次の火のバスの話になるのですが、バスでそこを通った時広島の学校の教授さんがその過ちを繰り返しませんと書いた石碑の話をしていました「あの石碑が落書きされていたのは、やったのは米軍で私たちではない。という過激派がいる」ということでした。昔お母さんが教えてくれた、喧嘩は両成敗であるという法則はどこにもありませんでした。
それから、その教授はこんなこともおっしゃっていました。
「被爆者や被爆二世は私達だけならよかったですが、むこう(福島)も同じようになってしまったこと大変残念に思います。」
私達がニュースで聞くキャスターのニュース原稿が紙なら、富士さんくらいの重みある言葉であったし、私たちでは言えない重みがあったと思います。
確かに広島は復興しました。街は徳島なんて比ではなく、東京都ためを張っていると私は思いました。たしか、岡山よりも市内の人口密度は高いはずです。そのくらい発展したというのに、私達が小学生の時勉強したことは今もなお続いているのです。広島でも、福島でも。
人間は学んでその運命を回避する能力があるのではないでしょうか。
学ばなくなった人間など植物以下です。植物ですら、自分の生きるために葉にとげをつけ、観をならし、花で虫をよびます。植物は確かに偉大ですが、賢くはありません。
そこが人間との違いです。
農業の勉強よりもそっちのほうが私を大きくしてくれたように感じました。
私は小学生も中学生も高校生の時も広島に来たことはありませんでした。
だから、もし広島に来たことないならもしくは、もう思い出せないなら
ぜひ行ってみてきてほしいと思いました。
一泊ぐらいなら…なんとかできるとおもいますから。
それを、一日目の夜にとてもとても強く願いました。
頭の中ではすっとずーと
元ちとせ 「死んだ女の子」が流れていました。
実は、一日目のお好み焼きを食べた帰りの話です。
これだけは別に書くべきだと思って予定に入れませんでした。
概要を簡単に説明しますと、お好み焼きを楽しく食べすぎて、ホテルの近くの駅の路面電車乗り過ごしたのです。
だから、ホテルの次に近い駅で降りたのですがそれが「原爆ドーム前」だったんです。
時間は夜10時50分ごろ。
私達は原爆ドームの周りを歩いていました。
教授・助教授 私と同級生(発表者同士ですね)はお好み焼きの帰りに路面電車に乗り遅れて
次に近い「原爆ドーム前」で降りたのでした。
少し歩くとそこにはライトアップされた原爆ドームがありました。
少し残念でしたが、実は今年は原爆ドーム点検作業中なんだそうです。下から見ると足場だらけで、鉄骨に鉄骨を重ねた感じでした。
それでも、前を通ったらこの足元で起ったことを自然と想像して寒さとは違う何かを感じざる終えませんでした。あとで気づきましたが、ちょっぴり泣いてました。
慰霊碑にはたくさんの水がお供えされていて自分が持っている水もお供えしたい気持ちになりました。
二日目もバスの移動中に上から(橋が原爆ドームとり高いため)見たのですが、上のドームは足場がなく写真で見た通りの原爆ドームがあってやっぱり広島に来たし、その歴史を感じたんだなと思いました。
また、夜の話に戻りますと
そのあと、原爆の火をみました。あれって、手の形をしたモニュメントの真ん中にあるんですね。はじめ見たときはわからなかったのですが、教授がポカーンとみている私を見て、いろいろ教えてくれました。
その中で一番印象に残ったのは、「その火のモニュメントの奥にある半円を立てた形のものからその火を見てみろ」って言葉でした。
覗いてみると、火の後ろにドームがありました。その半円の下には「私達は二度と過ちを繰り返しません」とありました。この間スプレーで落書きされていたやつです。
そこにもたくさんの水や花が置かれていました。
また次の火のバスの話になるのですが、バスでそこを通った時広島の学校の教授さんがその過ちを繰り返しませんと書いた石碑の話をしていました「あの石碑が落書きされていたのは、やったのは米軍で私たちではない。という過激派がいる」ということでした。昔お母さんが教えてくれた、喧嘩は両成敗であるという法則はどこにもありませんでした。
それから、その教授はこんなこともおっしゃっていました。
「被爆者や被爆二世は私達だけならよかったですが、むこう(福島)も同じようになってしまったこと大変残念に思います。」
私達がニュースで聞くキャスターのニュース原稿が紙なら、富士さんくらいの重みある言葉であったし、私たちでは言えない重みがあったと思います。
確かに広島は復興しました。街は徳島なんて比ではなく、東京都ためを張っていると私は思いました。たしか、岡山よりも市内の人口密度は高いはずです。そのくらい発展したというのに、私達が小学生の時勉強したことは今もなお続いているのです。広島でも、福島でも。
人間は学んでその運命を回避する能力があるのではないでしょうか。
学ばなくなった人間など植物以下です。植物ですら、自分の生きるために葉にとげをつけ、観をならし、花で虫をよびます。植物は確かに偉大ですが、賢くはありません。
そこが人間との違いです。
農業の勉強よりもそっちのほうが私を大きくしてくれたように感じました。
私は小学生も中学生も高校生の時も広島に来たことはありませんでした。
だから、もし広島に来たことないならもしくは、もう思い出せないなら
ぜひ行ってみてきてほしいと思いました。
一泊ぐらいなら…なんとかできるとおもいますから。
それを、一日目の夜にとてもとても強く願いました。
頭の中ではすっとずーと
元ちとせ 「死んだ女の子」が流れていました。